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■╋■╋ スポットライト・コラム
╋■╋ 斯の道の為に、斯の言葉のために、
■╋ 何人かその全力を尽くさざる―『NEW斎藤和英大辞典』
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昭和3年日英社刊『斎藤和英大辞典』が日外アソシエーツから復刻刊行
されているのをご存知だろうか。わが国の学校英文法の原型を完成さ
せたと言われる斎藤秀三郎(1866-1929)、渾身(最後)の著作である。
旧字を新字に、旧仮名遣いを新仮名遣いに改め、見出しの排列もロー
マ字表記のABC順からカナ表記の50音順に変更、より使い易い『NEW斎
藤和英大辞典』として現代に甦った。
■ 英語“道”の達人
斎藤秀三郎は、「明治英学の三大家」として井上十吉、神田乃武と共
にその名が挙げられる。正則英語学校(現・正則学園高等学校)の創
立者でもあり、その63年の生涯で、英和、和英辞典、英文法書(その
ほとんどが英文)など200冊以上の著作を残している。全て独力で成し
遂げており、寸刻を惜しんで英語の勉学に打ち込んだという。朝起き、
食事をして学校で教鞭をとる。「その生活は時計よりも正確だ」と評
されたそうである。
意外なことに、斎藤は生涯に一度も海外渡航の経験がない。が、類を
見ない読書量でカバーしたらしい。工部大学校(現・東大工学部)在
学中、僅か3年間で図書館の英書を全て読破、ブリタニカ百科事典全
35巻を2度通読したという「ホンマカイナ」と思える逸話もある。
また、幼くして native 教師に発音を徹底的に叩き込まれ、自分の英
語に絶対の自信を持っていた斎藤は、酔っ払ったある時、帝劇で日本
公演中のシェークスピア劇団の英国人俳優の発音が間違っているのを
見て、「お前らの英語はなっちゃいねぇ!」と英語で一喝したという。
実に明治的豪傑らしい痛快なエピソードではないか。私も、電車の中
でイマドキの茶髪のお姉さん方のドエライ会話を耳にすると、つい
「お前らの日本語はなっちゃいねぇ!」と叫びたくなる。
■ グローバル時代の「和英辞典」
斎藤の編んだ辞典は、グローバル時代の今なお廃れず、むしろ輝きを
増しているかのようだ。翻訳不能と言われた、あの『フィネガンズ・
ウェイク』(J. ジョイス)の完訳で知られる柳瀬尚紀氏は、同じく斎
藤の代表的著作である『熟語本位英和中辞典』(岩波書店)について、
高校時代、布団の中にもトイレにも持ち込んで使い倒し「私にとって
英語の恩師だ。英語はもっぱらこの辞典から学んだ」と絶賛している。
その魅力の一端は『斎藤和英大辞典』の序文の末尾にある次の言葉に
表れているような気がするのである。
In short, the English of the Japanese must, in a certain sense,
be Japanized. (要するに、日本人の英語は、ある意味において、日本
化されるべきなのだ)
時は文明開化の路線をまっしぐら。西欧の学問知識を貪欲に吸収しよう
という英語英学万能の時代風潮にありながら、自ら進取的に英語を学び
取ろうとした斎藤は、一方で日本語・日本文化に対する“誇り”を見失
わなかった。
教え子に対して「西洋人のそばへ行つて“Sir, ...”なんて質問なんか
して居るやうぢや駄目だ、『おい君』といふやうな対等の位置に安んじ
得るやうに早く成つて呉れないぢや困るよ」(『英語の日本』第九巻第
一七号)とこぼしたエピソードも実に彼らしい。
斎藤“英学”の中核を成す概念に「イディオモロジー(idiomology)」
というコトバがある。簡単に言ってしまえば「日英の熟語や慣用表現
の比較研究」ということになるが、斎藤兆史氏(東京大学大学院助教
授)は、次のように説明している。
「その根底にあるのは、お日さまの下で同じように空気を吸って生きて
いる人間が使う道具である以上、日本語にも英語にもかならず同じよ
うな慣用表現が存在するはずだという認識である」
(『英語達人列伝』中央公論新社)
斎藤は、日本語と英語の無数のイディオムの背後に息づく両国民の感
じ方・考え方を捉え、表現しようとしたのだろう。「語はそれ自体に
おいては無、結合において一切、構文ぬきの動詞は不動詞」という見
地から、英語の慣用語法の解明に注いだ情熱が『斎藤和英大辞典』の
血の通ったこなれた訳語となって見事に結実している。決して戦前の
辞書とあなどれない出来映えなのである。サワリをいくつか抜粋して
みよう。
◆人の噂も七十五日 “A wonder lasts but nine days.”
◆上手に上手あり “Diamond cut diamond.”
◆日本は東洋の英国の名に背かぬ
Japan merits the name of “the England of the East.”
◆読書百遍義自ら通ず
Read a hundred times over, and the meaning will become
clear of itself.
◆百弊金銭より生ず Money is the root of all evils.
◆酒は百薬の長 Wine is the chief of all medicines.
◇老人の冷水 an old-man's indiscretion
◇一葉落ちて秋を知る “A straw shows which way the wind blows.”
◇男心と秋の空 Men are as fickle as autumn weather
―(西洋では)―“Woman is as fickle as April weather.”
また斎藤は「英米人の文章の引用は、和英辞典にはのせるべきではな
い」という考えの下、個人的主観、嗜好を大胆に取り入れ、和歌、俳
句、都々逸、漢詩などの英訳を随所にちりばめたのである。異文化の
翻訳という観点からみて、これが実に面白い。ちゃんと脚韻を踏んで
いる。
◇古池や Old garden lake!
蛙飛び込む The frog thy depths doth seek,
水の音 And sleeping echoes wake.
◇三千世界の Throughout the world I'd kill
烏を殺し The cawing morning crow,
主と朝寝が And sleep at morn my fill,
して見たい With you as bed-fellow.
◇惚れて通えば Love laughs at distance, Love!
千里も一里 A thousand miles is one to love;
会わずに帰れば But when I can not meet my love,
又千里 A thousand is a thousand, Love.
今日、英和辞典は沢山存在するのに対して、和英辞典は数が少なく、
扱う語彙も限られている。これはわが国の英語教育が「英文解釈」中
心に行われる現状を反映しているのかもしれない。が、今後の課題は、
国際語である英語を理解しつつ、それを日本語でどのように理解し、
表現するかということではないだろうか。すなわち、自国の文化に拠
って立ちつつ、海外に向けて堂々と情報発信するスタンスが求められ
る。そう、それは「斎藤和英大辞典」の編集理念そのものであり、今
の時代を先取りしているとも言えよう。若い人にはぜひ一度、手に取
って拾い読みして欲しい一冊である。本辞典を100%使い倒すには、
和英だけでなく英和でも自在に検索できる CD-ROM 版がお奨め。
斎藤秀三郎は生前、常に「天国に行ってからも英語丈は勉強するよ、
人間が此世で成し遂げる事が出来る仕事って高の知れたものさ」と語
っていたという。英語“道”奥深し。その一生を傾けた“人とコトバ”
に対する関心と情熱には、ただただ頭が下がる。
(竹)
『NEW斎藤和英大辞典』斎藤秀三郎〔著〕
1999.9 B5・1,400p 定価14,910円(税込) ISBN4-8169-1554-0
http://www.tranradar.net/saito.html
『NEW斎藤和英大辞典 普及版』斎藤秀三郎〔著〕
2002.12 A5・1800p 定価7,140円(税込) ISBN4-8169-1754-3
http://www.tranradar.net/book/saito_popular.html
『CD-NEW斎藤和英大辞典』斎藤秀三郎〔著〕
1999.9 価格18,900円(税込) ISBN4-8169-8078-4
EPWING版CD-ROM(Windows対応検索ソフト付き)
http://www.tranradar.net/saito.html
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